女性の巡礼者
秩父札所の特徴の一つに西国札所、坂東札所に比べて、女性の巡礼者が多かった事があげられます。
江戸幕府は、「入り鉄砲と出女」を警戒して厳しく取り締まったが、秩父札所へは、一泊から二泊の行程で、しかも、関所を通らずに行けた事から、肉体的に弱い女性にも往来する事が出来ました。
その為、秩父札所巡礼は、女性に人気があった様です。
天明年間の川柳には、女性が、秩父札所にまつわるこんな句を詠っています。
「やくざめに秩父の路銀みなにされ」秩父札所巡礼を楽しみに貯めていたお金をヤクザな息子に全部使われてしまった。
と、言う母親の心境を詠った句です。
「秩父の留守に戸田川が留れかし」戸田川が増水して、姑が足止めされて欲しい。
と、期待する心理が詠われています。
江戸時代でも嫁、姑の問題があったんでしょうね。
秩父札所に関する地域の習慣
ある地方では、女性の秩父札所巡礼を促す習慣もありました。
例えば、千葉市誉田町平山地区では、女性が四十歳以上になっても秩父札所巡礼を済ませていないと、一人前の主婦として扱われなかったと言います。
また、同じく千葉県佐倉地方でも女性が、一生に一度は、秩父札所巡礼を経験しなけば、一人前の女性と認められなかったそうです。
この様に秩父札所巡礼が一人前の女性になる通過儀式とされていました。
これは、昭和四十年頃まで行われていたようです。
参考書籍 「遍路と巡礼の社会学」 佐藤久光
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