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何が第一の問題か?

例えば、人が恐ろしい毒矢に射られたとする。

親戚や友人が集まり、急いで医者を呼び毒矢を抜いて、毒の手当てをしようとする。
ところが、その時その人がこう言った。

しばらくその矢を抜くのは待て。
誰がこの矢を射たのか?
男か?女か?
どんな家のものか?
また、弓は、何であったか?大弓か?小弓か?
木の弓か?竹の弓か?
弦は、なんであったか?藤蔓か?筋か?
矢は、籐か?葦か?
羽は何か?
それらがすっかり分かるまで矢を抜くのは待て。

と、言ったらどうであろうか?
いうまでもなく、それらがわかる前に全身に毒が回り、その人は、死ぬであろう。
この場合は、まず、矢を抜き、毒が全身に回らない様に手当てをする事である。

この宇宙の仕組みがどうであろうと、社会のどういう形の物が理想的であろうと、なかろうと、身に迫って来る火は、避けなくてはならない。
あの世が永遠でなかろうと、限りがあろうとなかろうと、生と老と病と死、愁い、悲しみ、苦しみ、悩みの火は、現に人の身の上に押し迫っている。
人は、まずこの迫っているものを払いのける為に道を修めなければならない。

お釈迦様の教えは、説かなければならない事を説き、説く必要の無い物は説かない。
すなわち、人に知らなければならない事を知り、断たなければならない事を断ち、修めなければならない事を修め、悟らなければならない事を悟れ。

と、教えるのである。

だから、人は、まず、問題を選ばなければならない。
自分にとって、もっとも押し迫っているものは何か?を知って、自分の心を整える事から始めなければならない。


解説

有名な毒矢のたとえ話です。

お釈迦様は、自分の弟子やその他の人々の質問には、全て答えたそうです。
お釈迦様のある弟子が、あの世は存在するのか?
有限なのか?無限なのか?
と、いう質問をお釈迦様にしたそうです。
しかし、お釈迦様は、何も答えませんでした。
その弟子は、同じ質問を何度もお釈迦様にしたそうですが、いつも無言だったそうです。
ある日、その弟子は、同じ質問をお釈迦様にしたそうです。
そして、答えを言わなかったり、誤魔化したりした答えだったら、私は、教団を去ります。

と、言ったそうです。
その時にお釈迦様が言ったのが、上記のたとえ話だったそうです。
つまり、あの世があっても無くても、有限でも無限でもそんな事は、知る意味はない。
それよりも、その弟子が今現在、押し迫っておる問題を知り、修めるべき事を修めるのが大事なんだと言う事をたとえ話でその弟子に説いたそうです。

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